NovelAIの機械学習済みモデルのリークを堺にOSS含む、あらゆる創造性に当たる部分のAIテクノロジーが急速に進化してきました。(最も本当の始まりはそれより前ではありましたが) 2024年、今年はAGIが登場するのか登場しないのかとその辺りの業界ではざわめいているようですが、非常に短絡的な意見も多く目立つ状況が少々嘆かわしく思う節があったのと、攻撃的な輩に捕捉されるのは面倒なので、せっかく新設したこの場所で少しだけ首を突っ込んでみることにしました。が、私の結論はシンプルで淡々としたものです。
結論: 現在のAIと人間が共存するとは何なのか
我々AIを生み出した側の"人間"サイドが「"利益"を追求するのか、あるいは"心情"や"私情"を優先するのか」これが許せて許せない。人間社会の範囲内での許容ラインが人それぞれ異なる以上、真の意味での共存が出来るかどうかは我々人間の手に掛かっているだけで、逆に言えば既に共存関係は始まっているとも言え、それと同時に現時点で拒絶を選択する者は、ただ自身の私情に流されているだけに過ぎないのではないのだろうかと個人的には考えています。後は結局のところ、AIテクノロジーを生かすも殺すも大多数の人間の倫理感でどこまで許容できるのか次第であるというわけですね。
余談: 自身の人生も交えた個人的なAIについて思うことを語る
さて、あまり多く語ったところで現時点でのAIに関して「これが正義・答えだ」等という事は存在しないのです。ですが、現時点で既にAIイラスト方面で非常に攻撃的な目的に使用する為にAIを用いたり、見境なく荒稼ぎを行う輩が多く見受けられるわけですが、このような輩こそ真に問題視すべきであり、こういった行為が余計に関連するAI関連の問題を深刻化させたり、悪い意味で根を深く掘り下げるだけの混沌材料になるだけなのです。火に油を注ぐようなものです。そういう人種こそ、節度を弁えて行動させる用に抑止するべきなのではと考えています。少なくともイノベーションの手助けをするという意味で使うAIの効果は絶大です。
私個人としての話を少しさせていただきます。私の場合、これまで現実で技術的な話題を話せる友人といった直接的な人間関係は、実はゼロです。長野辺りに住んでいるという地域的な理由もあるのでしょう。あるいは単に縁が無いだけなのか。ですが私は昔からコンピューターテクノロジーに異常なまでの執着と独学心に溢れ続けています。それこそ小学生のときから今の今まで続いています。一般的な生活をされている方は信じられないかも知れませんし、今まで一度も言及したことがない事ではありますが、起床してから就寝するまで常にPCでひたすら作業をして寝る。それだけの人生を今現在、歩んでいる程です。(誇張ではないです。最も、身内の手伝いで外出するといった事は当然ありますが)
個人的にはイラストAIの登場よりもGPT3.5~4.0の登場時が遥かに驚きました。これだけ人間的ではあるものの、いかなる話題でも何らかの腑に落ちる解答を投げてくるものが実現するなんて。こうしてGPT3.5が登場した2022年末以降、技術的な情報を得る情報源にGPTが生み出すワードの断片をヒントに新たに調べる手がかりを得るといった事も日常茶飯時の如くこなし続け、とうとう私が現在開発中の次世代ゲームプロジェクトまでこぎつける程のアシスタントになっているのですから。
そんなAIについて規制や取り締まりの声は当然理解できますし、全く規制ゼロで運用するのは結局のところ、悪用する不届き者が存在している時点でどうしても必要なのです。ですが、だからといって論理的に捉えず、自身にとって気にいらないから排除すべきだ・規制すべきだなどという主張はあってはならないと思います。ですが残念ながら、短略的な答えや視野の狭い答えを出す者が居るだけではなく、そもそもAIが何なのかをよくわかっていない、触りもしないという話が現実の身近で聴こえて来るのが今の現状なのです。「無知は罪」という言葉がありますが、個人的にこの言葉には賛成です。これだけ数多くの入り口が在るのに他人の意見に扇動されるだけで済ませたり、同調するだけなんて、あまりにも勿体ないとは考えないのでしょうか。 ただ、私が考える自説の中にこういったものがあります。
「直に事象を観測するまではそれが真実であるか、嘘であるかという議論すら無なのである。それらを語れる権利があるのはその事象の当事者のみである」
という自説があるのです。普段からネットウォッチし続けている側もまたバイアスが掛かっているという事は認めるべきでしょうから、最終的には結論として述べたように、それぞれがどう解釈して許容していくか次第なんでしょうね。そうなると既存の考え方や概念の範疇で白黒ハッキリつける・ボーダーを敷くという事自体が非常に無理があるのかもしれません。
とまあ、こんな所です。これらの話に結論等という事自体を設ける事自体が、AI自体が器に収まりきらないイレギュラーテクノロジーであるようにも思えるので、ここ最近思っていた事を書き出した記事として残しておきます。他人に迷惑が掛かる事なく、皆それぞれにとっての益をもたらすようにAIとの共存する未来が構築出来る事が今の人間にとって最も目指すべき目標なのかもしれませんね。
